ラベル architecture の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル architecture の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

4.26.2012

Yasuhiro Ishimoto A Tale of Two Cities 石元泰博 追悼展 「シカゴ, シカゴ」

(C)Art Institute of Chicago

故 石元泰博氏が写真を学んだ Art Institute of Chicago で99年に開催された回顧展の際に出版された写真集。東京とシカゴの写真を並置して見せている。若干図録の点数が食い足りないような気もするがバラエティに富んだ内容でいい本(ソフトカバー)。今見ると丸めた紙のグレーと白の構成や、スナップがあり、建築がありと写真で出来ることはなんでもやっていることに驚かされる。中身を少し写真に撮ったので下に貼っておきます。神奈川県立近代美術館<鎌倉館>では6月10日まで桂離宮の写真展が、5月8日からは Photo Gallery Internationalでなんと”追悼展 「シカゴ, シカゴ」”が開催。

石元泰博 写真展 -桂離宮 1953、1954 : Yasuhiro Ishimoto - Katsura ...
Photo Gallery International 石元泰博 追悼展 「シカゴ, シカゴ」2012年5月8日(火)−6月16日(土)




ここからが本題だが、英語の Wikipediaの方が日本語のより内容が充実していて、それと岩波書店から1997年に発行された『日本の写真家 26 石元泰博』の序文で飯沢耕太郎氏が引用しているアサヒカメラのインタビューを照らし合わせてみてみると興味深いことがわかる。

「日本にいるあいだに、私は、よくても悪くても、自分なりの写真表現と取り組んで、いわゆる造形的な写真を発表した。日本の伝統に取材した写真、日本のクラフトを撮影したもののほとんどが、”造形写真”とよばれた。しかし、三年間、日本をたつときは、私はそうした”造形写真”からの脱出を考え出していた。何とかして、それまでの自分から抜け出したいと思ったのである。」

「あらゆる分野で、写さなければならぬもの、写さなければいられないもののイメージを、全精力かけて記録したもの」(「私のアメリカの三年」『アサヒカメラ』1962年2月号)

『桂 日本建築における伝統と創造』の初版が1960年、シカゴでの二度目の滞在(この頃、ミノルタの当時の社長田島氏による奨学金 ミノルタ・フェローシップを受けている)をはさんで完成した『シカゴ、シカゴ』が1969年。桂離宮の写真が代表作として語られ造形的な写真で語られることが多い氏が、並々ならぬ情熱をもって造形写真からの脱出を目指し撮影し完成したものがあの『シカゴ、シカゴ』ということがこのインタビューから見て取れる。

鎌倉で「石元泰博 写真展 -桂離宮 1953、1954」 東京で「シカゴ, シカゴ」とその両方を見ることが出来る。

石元 泰博 | Fotonoma The Photographer
『風の旅人』と呼応する写真家たち: 第6回 石元泰博
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ/石元泰博インタヴュー1
石元泰博さん逝去に寄せて 「風の旅人」佐伯剛さんのツイート - Togetter
「写真家・石元泰博を悼む」磯崎新|とんとん・にっき
p.a.r.k: Katsura---Picturing Modernism Ishimoto Yasuhiro 石元泰博 ...

Amazon.co.jp : Yasuhiro Ishimoto: A Tale of Two Cities
Yasuhiro Ishimoto: A Tale of Two Cities
Hana
石元泰博 桂離宮
Katsura: Picturing Modernism in Japanese Architecture: Photographs by Ishimoto Yasuhiro (Museum of Fine Arts, Houston)
石元泰博 写真という思考

2.03.2012

Matthias Hoch : Fotografien/Photographs マティアス・ホック 建築写真

(C)Hatje Cantz

Matthias Hoch (b.1958 Germany)

人気の建築/都市風景の写真集。たっぷり彼のサイトで写真を見ることができます。2000年代にはいって色と線と面である建築物の部分を構成したタイプの写真に。個人的には1988年の駅のシリーズ"Bahnhofe" 1987-92の夜のシリーズ "Nacht" 1986年の"Stadt" 偶然にも1989年のベルリンの壁崩壊以前の数年間に撮られたものが気になりました。

現在ライプチヒ在住。

Rena Bransten Gallery: Matthias Hoch
Matthias Hoch.Train Stations & Night
p.a.r.k: Christopher Payne 建築写真家 建設現場 写真
Luisa Lambri Julius Shulman 大橋富夫 - 建築写真 ルイーサ ...

Amazon.co.jp : Matthias Hoch

1.23.2012

Carlo Mollino: Photographs カルロ・モリーノのヌード写真 Message from the Darkroom フォルム

(C)Adarte

Carlo Mollino (1905 – 1973 Italy)

イタリア生まれの建築家、デザイナー、写真家。また舞台装置の制作、レースカーのデザインとドライバー、スキーと、レースと飛行機でのアクロバット飛行に情熱を燃やした才人。

椅子や机をデザインする建築家の撮る写真は、芸術写真の写真の中で完結する審美性に重点は置かれていないようであり、またヌード写真を収集するという攻撃的な偏執性も見られない。モデルの女性の体と手と組まれた足が描くラインが美しい。彼のヌード写真を見た後に、机や椅子、レースカーの写真を見ると、プロダクトにもかかわらずそこにも同じ官能性が見られる。彼にとって女性の体からも、彼のデザインするプロダクトからも同じ位相で美を見ているかのように見えます。

Carlo Mollino A master of eroticism
STYLE FACTS : THE OTHER SIDE : The other side of designer Carlo Mollino 1905 - 1973
nistagmus : Carlo Mollino
retro-dome : Carlo Mollino
ghost in the snow : Carlo Mollino Polaroids #3 / Carlo Mollino Polaroids
la repubblica firenze.it : Le morbide curve di Carlo Mollino
design bloom : carlo mollino’s (re)creations
Carlo Mollino - Wikipedia, the free encyclopedia

足と手の作るバランスが美しさの秘密なのでしょうか。椅子や机をデザインする上で資料として撮られた写真だとすると興味深い前提ででてきた写真だと思えます。(ここまで書いてきた全てが間違っているかもしれないけど)

インターネット上で彼の撮った写真を断片的にみることができますが、編集された書籍を1冊見てみたいもの。photo-eye bookstoreでその一部を見ること出来る "Carlo Mollino: Photographs 1956-1962"は表紙の次に女性の立ち姿とスキージャンプの写真が並んでいるハッとする見開き。また1943年に書かれた"message from the darkroom"では、まず客観的な写真史の解説、次に過去の著名な写真(アジェやスタイケン..) をとりあげ、それら写真がもつ”メッセージ”を彼が主観的に分析したもので"20世紀前半から写真がアートのひとつとして受容”に革命的に大きな貢献をした書籍とされているそうです。

photo-eye bookstore : Carlo Mollino: Photographs 1956-1962.
design bloom : message from the darkroom

引き続き知りたいことが得られる本がどれなのか探してみたいと思います。

Amazon.co.jp : Carlo Mollino: Photographs 1956-1962
Message from the Darkroom
Carlo Mollino: Un Messaggio Dalla Camera Oscura
The Furniture of Carlo Mollino (Monographs)
Carlo Mollino: Maniera Moderna
ジオ・ポンティとカルロ・モリーノ: ドムスへの道程

9.19.2011

Montreal Biosphere モントリオール バイオスフェア バックミンスターフラー ジオデシック・ドーム



(via:CABINET Issue 32 Fire Winter 2008/09)

カナダ・ケベック州 モントリオールにあるモントリオールバイオスフェア(Montreal Biosphere)
ジオデシック・ドーム 1967年のモントリオール万国博覧会のアメリカ館としてバックミンスターフラー(Richard Buckminster Fuller) がデザインしたもの。それが1976年に一度燃えたと話には聞いてはいたのですが、写真ではみたことがありませんでした。そんな話をしていてちょうどみつけた写真。燃えても美しい。

この建造物に関して、The Canadian Centre for ArchitectureでのTanget Series というカナダの建築研究機関のプロジェクトに参加した畠山直哉氏が別の展覧会(神奈川県立美術館 - 今日の作家XI 鷲見和紀郎・畠山直哉)で発表した写真作品がある。

また一番上の画像で引用した"CABINET"は幅広いトピックを扱い写真作品も販売している雑誌のようですが、そちらもまたの機会に紹介してみようと思います。

 
Montreal's Biosphere: Museum of Water from Mediamar on Vimeo.

How to get to the Biosphère? (バイオスフェアまでの行きかた)

なお、元々バイオスフェアと呼ばれていたこの建築物は2007年に政府が買い上げて 現在では環境博物館 (musée de l'environnement - environment museum) と呼び名を変えたそうです。

ジオデシック・ドーム
カナダ・モントリオール市の環境学習施設 その(2)バイオスフィア
Montreal Biosphere - Wikipedia, the free encyclopedia


Amazon.co.jp : バックミンスター・フラーの世界―21世紀エコロジー・デザインへの先駆
Cabinet 16: The Sea (A Quarterly of Art and Culture)
Cabinet 26: Magic

9.10.2011

忘れること、あるいは都市の消滅と資本主義の文化について スーザンソンタグ InterCommunication No.14 1995

忘れること、あるいは都市の消滅と資本主義の文化について スーザンソンタグ(インタヴュアー 木幡和枝)
InterCommunication No.14 1995. Autumn
特集 映像メディアのアルケオロジー

雑誌から切り出したページがでてきて、その彼女の発言は、日本に住むわれわれから見て必ずしも真で無い部分もあるのだが、考えるヒントとしては興味深い点がいくつかあったので要約してメモを残しておく。

読みながら同時タイプしてまとめているので、文意がズレる箇所もでていると思う。興味のある方は本に収録されているのでそちらを参照ください。

Amzon.co.jp : オペラシティの彼方に―エッジを測量する17の対話
NTT出版 : オペラシティの彼方に エッジを測量する17の対話 磯崎新 編

***

事故のいきさつ 磯崎新

関西大震災、オウム地下鉄サリン、タレント知事選と、政治的なトピックスが続出。事件の背後に、同じくポリティカルな問題領域が潜んでおり、それを建築や都市の問題として避けるわけにはいかないと考えていくつかの企画に関わってきた。そのひとつが「水俣メモリアル」の国際デザインコンペティションの審査。同時期に「女性建築家フォーラム」が岐阜で開かれた。基調講演にスーザンソンタグ氏が来日。

「水俣メモリアル」市、および関係者から記念碑もしくはオブジェクトの公募についての相談があり、メモリアルならば、可視的ないっさいのモニュメントが不可能と思われている今日においても成立可能かもしれないと私がサジェストしたことから組まれたタイトル。

(その後、磯崎氏が感冒ウィルスにかかって、スーザンソンタグ氏との対話がキャンセル。インタビュアーをたてて、スーザン・ソンタグの日本論が記録されることとなった。)

***

ソンタグ - 女性建築家だからといって特別に負わされる課題があるとは思いませんし、基本的には男性の建築家と同じ仕事の仕方をするというのが私の観点。もうひとつの論点 - 伝統的に女性が家のなかの仕事についてきたということから、女性の方が感覚的に優れている領域があるという見方。そういう主張はむしろ女性建築家の活躍分野を特殊化し、狭めてしまう。コンペという形式は建築界特有のもの。ブラインド・コンペという応募者が明かされないで審査する制度がもっと多く活用されれば、女性に対するあからさまな偏見が入り込む余地は減少します。

今回の女性建築家フォーラムへ招待され、日程上、来られないかもしれないかもしれないということで、代わりの人を推薦した。アメリカではとても有名な人で、彼女を有名にしたのは建築ではなく、モニュメントです。またイェールの学生だった21歳のときに、ベトナムで戦死した兵士の慰霊碑のためのブラインド・コンペで一位になったのです。第一線で活躍する有名な建築家も参加しましたが、蓋をあけてみたら、勝ったのは無名の、まだ大学院生ですらない21歳の学生、女性、しかも中国系ときている。

ベトナム戦争戦没者慰霊碑 - Wikipedia

結果的に私がこられることになり基調講演したわけですが、日本に長く住んでいる外国人から個人的な見解として「彼女は若すぎる、基調講演にはもう少し年輩でないと」とその人は日本での経験からそういう推察をしたわけです。

***

100年以上もの長い間、「モダン」は「アメリカ」を意味していたわけですが、20世紀末の視点からすると複数のモデルがあることは明らか。ここ30年来、その新しいモデルが日本になってきたと思うのです。「日本流のモダン」「日本流の過去との訣別の仕方」「日本流の過去の破壊法」というような見方。日本モデルはアメリカ・モデルといくつかの点がちがっていました。

-現代の東京がそんな飛躍をしているのは、過去と断絶したからだということでしょうか?

ソンタグ - よそよりもラディカルに過去を断ち切ったから...でもその前にもう一点。
日本が他の国と違うのはなぜか。日本には他の国とはまったく異なる都市の観念があるのではないでしょうか。まず人口を限定していない。何人でも受け入れるつもりがある。「モダン」の典型がアメリカで、「ポストモダン」の典型が日本だとすると、「モダン」のモデルは従来型の都市の延長線上にあります。中心から放射状に広がっていくという考え方。歴史的に、中世以来のヨーロッパの都市のあり方。

日本の都市には中心という観念がありません。中心ができかかっても、都市の拡張とともにまた新しい中心が出現する。この脱中心モデルは新しいものです。もう一つ外国人の目に明らかなのは、単一の中心を決めてものを作らないばかりか、建物の使い方そのものに日本、東京に特有のものがあるということです。

西洋では建物の使い方に一定の方式があります。道路に面した地上階と、その上の階にすべての重要な活動と重要な組織が位置している。レストラン、劇場など。ところが日本では、建物の内部空間にも中心という観念がない。あるいは西洋的な意味でのヒエラルキーがない。ビル全体がひとつの機能に集中していて、どの階でも同じ活動が重複して展開している。たとえば、繁華街のバーや酒場だけが入居しているビルです。

-日本には過去は記憶のなかにしっかりととどめられているという過信があって、物にそんなにこだわらないのかもしれませんが、そのうち記憶すら忘れ去ってしまう恐れを感じませんか

ソンタグ - 忘れることは日本において重要な命題となっているとも思えます。過去との断絶には愕然とさせられます。一つの例をあげると、文学です。明治以来、戦後期にいたる日本の文学は重要な文化を形成してきました。ところが今現在、若い人々がどれだけ文学を読んでいるか、たぶんよその国に比べてきわめて少ないのではないでしょうか。今朝たまたまみた「Tokyo Style」という写真集で、そこには電気機器、服、膨大な数のCDやビデオテープ。本はまったく見当たりません。音楽、ビデオといったものは新しいアートというべきかもしれません。脱歴史的ともいえる。過去は自分には重要ではない、面倒なだけだ、と言っているように見えます。

文学書は一人ひとりが買うもので、それは自分のなかに対象を取り込むことです。一方テレビやビデオというものは、一過性の刺激、興奮のためにあるとは言えないでしょうか。これは消費を奨励する大量生産社会に密着した文化であり、だれもが同じものを消費することを喜ぶ社会です。古い文化の消費形態とは異なり、人々は集団行動にますます取り込まれやすくなるのです。

- ところで、映画100年にちなみ、最後に映画についてお話いただけますか?

ソンタグ - 映画100年の歴史のなかでも、日本映画は偉大な足跡を残しました。ところが私の知る限り、それが大きく崩れさろうとしています。かつてのような創造性と質はみられない。会う人ごとになんでそうなったのか話すのですが、多くの人はかつてのような監督がいないといい、もっとも大きな理由として経済的理由をあげる。でもそれだけではないと思います。大胆な仮説を言うと、経済的に成立しないといのは結果であって、原因ではない。あるレヴェルの真剣さと内面性をもったアートは高度資本主義のもとでは崩壊していきます。経済的圧力は結果であって、真の理由は人々がもはやその種の経験を理解しなくなる、持ちたいと思わなくなる、ということなのです。その種の体験は大袈裟すぎる、押し付けがましい、難しすぎると感じてしまう。映画が要求してくるもの、そのシリアスさやその暗示的な社会批判 - 溝口、小津、黒澤、成瀬、大島、今村らの優れた日本映画の多くにはそれがあった - はいらない、ということです。映画作りに必要な資金が調達できないといった単純な理由ではない。

ついこの間、東京でも、ロシアのソクーロフという40代後半の監督の映画を上映していたと聞きました。彼はタルコフスキーのアシスタントだった人で、作風は違いますが、その伝統をふまえています。とても哲学的で深く、すばらしい物語映画を作ります。新たに資本主義を取り入れたロシア、そこでもまた、ソクーロフのような映画は受け入れない。人々が彼の映画のようなものを欲していないからです。もっと別のものをみたいと思っている。現在の内的生活の重荷から解放してくれるようなもの、消費を加速化し、過去から遠く離れさせてくれるようなものを欲しているのです。

***

さまざまなアートの中でどちらにころんでも消滅することないアート、それが建築です。一面アートであり、同時に倫理的な活動であり、芸術の文脈を離れても実践することができます。別のジャンルのアートとなると、ほとんどのジャンルがそうでしょうが、芸術という意識ぬきにしては優れたものは生まれない。芸術としての建築という意識を恣意的に放棄して、技術、社会、健康、都市、環境という観点からのみ建築を実践してみる。それでも建築から芸術としての側面をぬぐい去ることはできないのではないでしょうか。建築はつねに人目にさらされているわけですから、建築家の将来には、今映画が瀕しているような危機は訪れないのかもしれません。

(InterCommunication No.14 1995. Autumn 特集 映像メディアのアルケオロジー)


Amazon.co.jp : オペラシティの彼方に―エッジを測量する17の対話
スーザン・ソンタグ - 良心の領界
アレクサンドル・ソクーロフ DVD-BOX (孤独な声/日陽はしづかに発酵し…/ファザー、サン)
アレクサンドル・ソクーロフ DVD-BOX 2 (痛ましき無関心/マザー、サン/モレク神)

8.21.2011

Mark Magazine オランダの建築雑誌

(C)Mark Publishers

オランダの建築雑誌 - Mark Magazine

17-31号までのレイアウトが特にかっこいい。ADは Mainstudio の Edwin van Gelder http://www.mainstudio.com/



3.22.2011

Fantom Magazine イタリアの写真雑誌 Carlo Scarpa "Brion" Guido Guidi

今回の東日本大震災で被災に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。私は関東に住んでいるので直接の被害は無かったのですが、しばらく何も興味がなくなった状態、ましてやブログなどと思いますが、写真にだけ依っている生活なのでまた少しずつ続けていきたいと思います。

-----
Massimo Torrigianiによるイタリアの写真雑誌”Fantom Magazine”です。カッティングエッジなものと、オーセンティックなものとのバランスが良いのが心地いいです。Other Editionでサンプルが数ページ閲覧可能です。
Tmagazine: Shutter to Think | Fantom Magazine

また出版事業として、オランダのCHARLOTTE DUMAS イタリアのGUIDO GUIDI そして日本のホンマタカシ(TAKASHI HOMMA)の本が既刊としてラインナップに入っています。FIUME (RIVER) BY GUIDO GUIDI は興味のある写真集だったのですが、350部のみのプリントということですでに完売。この川のシリーズでは、8X10のカメラで精緻な記録と、サブジェクトに接近できるように6x6のカメラを併用したのだそう。

GUIDO GUIDIは1941年生まれで建築を学び、Carlo Scarpa(カルロ・スカルパ)などに師事。3月にはそのカルロ・スカルパのBrion-Vega Cemeteryの写真集 Guido Guidi: Carlo Scarpa, Brion (Amazon)が発売されることになっています。

One Year of Books:Guido Guidi, Fiume
days fall like leaves:Fiume (River) by Guido Guidi
A.A.M. Architettura Arte Moderna:Guido Guidi

Amazon.co.jp : Guido Guidi: Carlo Scarpa, Tomba Brion

10.23.2010

Luisa Lambri Julius Shulman 大橋富夫 - 建築写真 ルイーサ・ランブリ

(C)Taschen

アサヒカメラ 2010年11月号 今日の写真2010では ホンマタカシ倉石信乃氏、建築家の塚本由晴氏とで建築写真をトピックに対談されています。

内容については、アサヒカメラ 2010年 11月号を読んでもらうにして、個人的に関心のある内容なので、名前が挙がっていた写真家の名前をアーカイブしておきます。塚本氏はベルント&ヒラ・ベッヒャー(Bernd Becher and Hilla Becher)を挙げられていました。そのほか対談に出てきた(現代的な意味での)建築写真家は以下の通り。

大橋富夫氏
土門拳、林忠彦に師事。1960年以後、フリーのカメラマンとして活躍。(via:アユミギャラリー)
列島建築家訪問記 - 白鳥健二氏の建築を撮影したもの

Luisa Lambri(ルイーサ・ランブリ/ルイザ・ランブリ)
1969年、カント(コモ)に生まれ、現在はベルリンとミラノで活動。(via:SHIFT日本語版
Luhring Augustine - Luisa Lambri

Julius Shulman
1910年生まれ、アメリカ人
Julius Shulman - Wikipedia
Julius Shulman Film

Amazon.co.jp : Julius Shulman: The Last Decade
Luisa Lambri: Locations (Menil Collection)
Julius Shulman: Modernism Rediscovered
最高の建築写真の撮り方・仕上げ方 (エクスナレッジムック)
日本の民家 屋根の記憶―大橋富夫写真集
東京―変わりゆく町と人の記憶 (写真アーカイブ)