あるきっかけで知ることとなった、富士市生まれの写真家 栢森省己氏。1903年 26才のときに横浜からシアトル、そしてサンフランシスコへと渡り、ホテルで清掃や商品検査係などをやっていたという。1912年にカメラを携えてアラスカに移住しその後30年間ヤクタトの原住者の生活などを撮影していた。
「日本人写真家セイキ・カヤモリは1912年から1941年まで地元缶詰工場で働きながら、ヤクタトとその周辺を精力的に撮影した。その大量の作品は現在ヤクタト市役所に収められている」(ヤクタト (アラスカ州) - Wikipedia)
第二次大戦が始まってスパイだと疑われたり、真珠湾攻撃のあと、64歳のときに兵士にひどく殴られるなどして、真珠湾攻撃の二日後に自害している。
日本語でのこの写真家の記事がネット上には見当たらないのでここに蓄積していく。
本名は、 栢森省己(セイキ・カヤモリ)だがサインするときには Shoki Kayamori と、またアラスカの図書館に彼の撮影した694点の写真は保管されているが、そこでは "Fhoki [sic] Kayamori" という名前で保管されている。
原住する人々の風習や文化と、アメリカからのバスケットボールなどの新しい文化の流入。なぜ彼は工場で働きながら、熱心にこれらの写真を撮っていたのかその本来の動機はこれらネットのソースからはわからないが、そうであれ写真を通して人々の生活の営み、意匠など新鮮なものとして目に映って楽しいもの。マイノリティがマイノリティを撮ったもので埋もれがちゆえに、これから出版される Margaret Thomas著の書籍の出版は画期的なものとなるだろう。
記念写真がよく出てくるが、地域でそういう担当だったのだろうか。
[Christmas party program.] :: Alaska State Library-Historical Collections
イベントが開かれるステージの写真も多い。
どちらかというと野外の人物写真に良いものがある。
[Portrait of unidentified man standing at bottom of staircase.]
Fourth of July, 1925, Yakutat, Alaska
数としては少ないが風景写真も。
[View of Yakutat harbor taken from above the cannery, ship in harbor.]
Alaska's Digital Archives - Fhoki Kayamori
Seiki Kayamori - Wikipedia, the free encyclopedia
Photoinfos: Seiki Kayamori
Behind the camera | Juneau Empire - Alaska's Capital City Online Newspaper
Margaret Thomas - Kayamori project
Amazon.co.jp : Picture Man: The Legacy of Southeast Alaska Photographer Shoki Kayamori
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