コンセプチュアル・フォトグラフィはどのようなものを指しているのかといったときに、ある具体的なひとつの例として
Kenneth Josephson の
New York State (1970) が挙げられるだろう。水平線に向けて掲げられた船の写真と、腕と手が見える白黒の写真だ。
あたかも大きな船が目の前の水平線に浮かんでいるかのように手は掲げられているが、当然ながらその船は写真である。鑑賞者の頭の中で、
船の写真が掲げられているが、船は浮かんでいないという当たり前の認知の処理を行う。船の写真を水平線に向けて掲げられた腕の写真、これが
写真に撮られた現実(B)である。
ここで制作者が写真を使って見せようとしているのは、紛れもなくその
実際に起こった現実(B)ではなく
あるアイデア(A)である。 この写真を用いて伝えようとするアイデアとは、
写真の中の現実(A)である。その
現実(A)は
実際に起こった現実の出来事(B)ではなく、制作者が
計画して、構成して作った作品(A)である。
写真に写されたものは、実際に起こった
出来事(B)であれ、綿密に計画して
作られたもの(A)であれそれを現実と呼ぶ。
回りくどい表現になったが、一枚の写真が鑑賞者の頭の中でいくつかの認知の修整の段階を経て、それはさらに写真というメディアの性質(機能)について考えと誘う。
勿論あえて複雑に考えなくても、この写真にはユーモアがあり、これが無ければそれほど語られる写真にはなっていなかったようにも思える。
ちなみにこの
Kenneth Josephson は、石元泰博氏と同じようにシカゴのArt Institute of Chicagoでハリー・キャラハンやアーロン・シスキンドに教わったのだそうだ。
ところで、この船の写真を持った人は、アーティスト本人の手だろうか?それともある曇りの日に写真家がどこか海岸線の展望台にいったときに出会った、船のポストカードを水平線に向けて掲げた人を写真に撮っていたらどうだろうか...
シンプルに構成された写真、そしてそのイメージについて説明されないとき、写真は饒舌になるが、 たいして自らについては説明していない。
Kenneth Josephson - Wikipedia, the free encyclopedia
Kenneth JOSEPHSON - Gitterman Gallery
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ/杉浦邦恵オーラル・ヒストリー
noboofs: i love kenneth josephson. his work is... • Ishi no Hana log
ちなみにベストセラーとなっている妄撮というフェティッシュ写真のアイデアも、 Kenneth JOSEPHSONが70年代に試みており、写真が鑑賞されるコンテクストが芸術とグラビアとで違っても、写真のもつ機能については変わらないことを示しており興味深い。
Photographic Emulation: (写真を学ぶ学生のImages Within Imagesを元にした分析と実践)
Amazon.co.jp : Kenneth Josephson: A Retrospective
写真の本質―スティーヴン・ショアー入門書
The Nature of Photographs: A Primer
写真ノート
Art and Photography (Themes & Movements)