ジャコメッリという写真家のことはそこそこは知っているつもりでしたが、改めて今回の写真美術館の展示を見て、自分が変わったのか認識にも変化がおき展示室には長い滞在となりました。
会場で流れていたそれなりに長いドキュメンタリ "Mi ricordo Mario Giacomelli" がありましたのでその内容を思い出しながらいくつかメモしておきたいと思います。
その映像は、ジャコメッリと関わった人々、作家のそばにいた姪、友人の写真家、90年代に撮れなくなったときに旅をともにした友人、額装家、ジャーナリスト、評論家、デザイナー、被写体となった農家の人々やモデルが、ジャコメッリと交わした言葉やエピソードで構成されています。それぞれ興味深い話でしたが、全体を通して見終わるとジャコメッリが、「何かと何かの境界に生きそこを逸脱していった存在」であるというのがこのインタビューをまとめた横糸なのかなというのが見えてきます。
地中海的文化と、北ヨーロッパの文化(ローマとヴェネチアの間のアドリア海に面したセニガッリアの生まれ)の影響を受け、図像(イメージ)の文化をよく知り尽くしているにも関わらず、そこから逸脱したこと。(フェリーニを例として挙げていましたが)地域、地方性が強かったものが、コスモポリタン(別の話では、より普遍的なものへとも)へと作品が動いていったこと。モチーフの具象性に囚われていたものが、それがメタファー/隠喩のエネルギーと結びついたこと - といったように何かと何かの割り切れない混ざりあったマージナルな境界で制作していたのがジャコメッリだと、このドキュメンタリからは見て取れました。
ジャコメッリを知るイラストレーターはモチーフに関わっていくにつれ(芸術家がモチーフを自分の外側にあるものとして対象を捉えることから)次第に「芸術家とモチーフとの距離がなくなっていく」という話をしていたし、「ジャコメッリは芸術家でもなく、写真家でもなく、ストーリーテラーだ」といっていたことから、イメージの制作のその先の何かにまで到達したのだと言えるかもしれません。
映像については記憶が曖昧な部分もあるので実際みていただけたらと思います。日本語の字幕がついたDVDは販売されていません。
ちなみに展示されているプリントは作家本人が暗室で焼いたもので、なぜこれだけの点数が集まったのか不思議でならなかったのですが、ジャコメッリは自分の写真を美術館に寄贈したためだと判明。それを引き受けた美術館に彼の作品だけでなく、当時
Balocchi, Malfagia といったフリーランスの写真家と作ったグループ
gruppo Misa の作品も収集するように依頼したとのこと。
キャリアにおける一連の作品がすべて作家本人のプリントで見ることが出来るのはなかなか無い機会。あるイタリアの地方にいたコントラストの強い写真のイメージの制作者くらいに思っていましたが、現実世界の深遠さを映像化した人として今回で認識を改めました。時間があれば展示室内の映像もあわせて。
東京都写真美術館
マリオ・ジャコメッリ 写真展
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