セクシャルな被写体のモチーフにはあまり興味が惹かれないが、70-80年代のニューヨークのアーティスト JIMMY DESANA の作品は写真を使った色んな実験が行われていて、視覚的に楽しい。
身体を使った無意味なアクティヴィズムは、有意味で生産的な社会にとってはアナーキーにみえる。ポルノグラフィではないが、性的に不快感を覚える方もいるかもしれないので閲覧注意を。バロウズとのかかわりや、またJames ChanceやDebbie Harryのポートレートなどオーソドックスなものもなかなかのものだし、Talking Heads "More songs.."のジャケットのアートワークもJimmy Desanaによるもの!
カラーフィルムの色の違いや、表現スタイルに時代を感じさせるものの、Wolfgang Tillmans や Ryan Mcginley など現在よく知られたアーティストと遠いものとは感じない。
Estate of Jimmy DeSana - Salon 94
Jimmy De Sana — Visual AIDS
Jimmy De Sana - Wikipedia, the free encyclopedia
BOMB Magazine — Archive : Jimmy DeSana
そういえば、日本人ではこういった身体を使った写真表現をするアーティストは誰かと考えて見たが、それは安樂寺えみ氏かもしれない、あまり日本での活躍を目にしないので気になっていたが、ニューヨークのギャラリーでの 新作展。
Emi Anrakuji - Miyako Yoshinaga - Art Prospects
Nikon | ウェブギャラリー | 2006年9月 | 安楽寺 えみ(あんらくじ えみ)
それにFrancesca Woodman(フランチェスカ・ウッドマン)も。70年代のコンセプチュアルアートには、裸を伴ったパフォーマンスの作品が数多くありそれなりのセンセーショナルを引き起こしもしたそうだが、今ではヌードはありふれたものになって、ヌードであるだけでは何かの強い主張を引き起こすことは難しい(naked art などで検索すると出てくるような、突発的な芸術とは関係ないような見世物)。ただ、制作者がフレームの外ではなく中にいて、視覚的な配慮と仕掛けが機能したものには何か哲学的な問いを投げかけるような力をもつものも多くは無いが目にすることもあり、そのような表現にまだなにかしらの可能性は失われていないようにも感じる。
Francesca Woodman | Tate
Francesca Woodman | Artists | Victoria Miro
Amazon.co.jp : Suburban
Jimmy Desana
EMI Anrakuji Ipy /Anglais
Francesca Woodman
Francesca Woodman: Works from the Sammlung Verbund
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