9.01.2016

写真の場合

オリンピックのエンブレムの話がずっと続いているが、いい機会なのでこの辺のことについて、写真の場合どうなのか考えてみたい。

広告やファッションなどの商業写真での引用ともパクリともつかない例はずっとある。そのままアーカイブやネットでみつけてきた写真(画像)を使うことはそうそうなく、だいたいが写真が撮られた背景などの舞台装置と、シーンの「設定」(どんな衣装で、時代設定があって)を参考にしたものとなる。

シーンの設定は、既に現実に存在するものだけを撮影できるカメラの特性上、何かの写真を参考にしたとしてもそのまま剽竊と言うには難しい。例えば「小型ボートの漕ぎ手側からみた見え方」というのはだいたい同じように見えるわけで、それは写真が存在しようとしまいと関係なく元からあるものである。

写真にはレンズを使うからその画角がある。広角もあれば望遠もあって、また人間の視覚に近い標準レンズもある。どれで撮るかは撮影者がどうその写真を見せたいかに従ってその判断と選択次第だが、仮に見本とする写真と同じメーカーの同じレンズを使って撮ったとしても見える範囲というものはカメラをつかわなくても人間の目と脳で日々行っている作用(ある一点を注視したり、全体を眺めたり、車に乗っている時にその速度によって可変する流れていく視野)だから、やはり盗用といえそうにもない。

同じ舞台設定(例えば小型の漁船の上で、朝、もしくは夕方、霧がでているのか晴れているのか)、同じ被写体(投網をもった漁師だったり、目前に広がる海か湖の形式)、同じアングル(レンズの選択だけでなく、また撮影者の位置の問題ー遠くからなのか近くから、高いところから低いところから)同じ色(カラーかモノクロか、コントラストの強弱、色かぶり)で撮ったとしてその組み合わせの一致が多ければ多いほど、見本となる写真を参考にして撮られたものとして、「ああこれはあの写真のパクリか」と判断することになる。

ここからが本題である。商業写真の場合、その広告に使用される数点の写真が制作され、その写真にコピーライトなどのキャッチがつけられてポスターや雑誌やチラシなどになる。その写真の特徴として、その写真を撮った撮影者がなぜそれを撮ったのかの動機は見えないように、たとえあったとしても消されるべきで、そこで問題とされるのはなによりイメージ像とそれを見るひとに喚起させる印象が全てである。明るい、楽しい、かっこいい、高級そう、安らぐといった形容詞を伝えるのに、写真は情報が少なくて簡潔ながら、言葉より伝達スピードが速く直接的な点で言葉(コピーライト)より優れている。

では同じようにカメラを使って物としては同じ(平べったくて、だいたい四角で、何か絵が写っている)写真を使って、表現のために発表された写真作品の場合はどうだろうか。

多くの場合(また伝統的な作品の場合)複数(少なくとも3点以上、多くの場合はそれ以上の)の写真のまとまりが一つの作品を形成し、それぞれの写真(ピース)は、それぞれが重要な断片であるが、だいたいにしてまとまりになった時にそれらが指し示すもの=作品の核となるキーコンセプトに集約され、なによりその煎じ詰めて現れ出てきたものが、何より唯一の作品の価値となる。(さきほど”伝統的な作品の場合”とカッコにとじて書いたが、カナダの Jeff WallやドイツのThomas Demandといった伝統的な写真とは系譜が異なる美術における写真を使ったアーティストの場合であっても、1点で作品が充分に完結しているが、アーティストとしての存在意義はやはりそれらの作品ピースが束ねられた展覧会のコンセプト、そしてそれら複数の展覧会を束ねたキャリアを通して通底する全体にある。)

 以下に限りなくモチーフが近い、または表現手法が近いものを羅列してみた(敬称略、順不同)。同じものを撮っていてもそれぞれの作者が何をそこにみているのか、または何をみていないのか比較することで作品の理解の助けになるかもしれない。少なくとも写真作品の場合、誰がモチーフを最初に発見したかの競争ではなく、作者がそれをどう見たか、大げさにいうと世界をどうみているかの視点がなにより重要である。

水中の人物、女性の写真はフェティズム写真も多い
Robert Flynt -  Compound Fracture
水中ヌード : 十文字美信 
TOMOHIDE IKEYA

混雑した通勤電車の乗客
Passengers John Schabel
Michael Wolf- Tokyo Compression
坂口トモユキ MADO

ジャンプする人といえばハルスマンだが、セルフポートレートで日常のありふれた風景となると全く異なったものになる
Philippe Halsman Jump
林ナツミ よわよわカメラウーマン日記

シルエット、横田氏の写真で人物が写っているものは実際はシルエットではないのだが森山大道「無言劇Pantomime
Adam Fuss
Daisuke Yokota

チルトシフト写真はスポーツ写真でも見られる
本城直季 NAOKI HONJO
Cityshrinker — Ben Thomas
Miniature faking - Wikipedia, the free encyclopedia

例えばエグルストン以前は日常の写真に撮るに値しないものは写真に撮られることはなかった
William Eggleston
荒木経惟
Juergen Teller
川内倫子

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William Eggleston's Guide 

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