畠山直哉氏の「等高線」を連想したが、それとも違う。須田一政氏の写真を連想したが、写っているものがいたって当たり前のように居心地よく存在している。写真家本人にとっておそらく心理的に近い親密な場所、人を撮った写真だと想像されるが、鑑賞者である私がみても写真の中へと視線を向けることを拒まれない。作者にとってそれぞれの写真が意味しているものを察するように促されず、ただ事物が写真になっていてそれをみることができる。一点、レンズ(こちら側)を見ている女性のポートレートがあるが、その写真は一方的に写真を見ている私に視線を返す。この意図はどうだったかと私は疑問に思うところだが、それを差し引いてもいいシリーズ。
写真は”かっこいい””きれい”といった「形容詞」を撮れとアマチュア向けの格言で言われるが、これは形容詞ではなく、津軽という名詞を撮ったもの。小島一郎とも違うし、Robert Adamsとも違う。特別なことをしていないにもかかわらず特別。よかった。
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Amazon.co.jp : 小島一郎写真集成
What We Bought: The New World: 1970-1974 (Yale University Art Gallery)
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