パリ・貧困と街路の詩学―1930年代外国人芸術家たち
プロローグ 宴のあと―フィッツジェラルド『バビロン再訪』
第1章 1930年代への光―無国籍都市パリ
第2章 ナチズムの台頭―亡命地の意味
第3章 危機の時代と「都市論」―亡命者ベンヤミン
第4章 フォト・ジャーナリズムの光芒―アンドレ・ケルテス
第5章 パリの眼―ミラー/ブラッサイ
第6章 都市の痕跡と写真―ブラッサイ『落書き』
第7章 壁の街・文字の音―佐伯祐三
第8章 貧困という制度―オーウェル『パリ・ロンドンどん底生活』
第9章 浮浪者の哲学―ヨーゼフ・ロート
『聖なる酔っぱらいの伝説』
エピローグ 物語られた「時代」―金子光晴『ねむれ巴里』
異都憧憬 日本人のパリ (平凡社ライブラリー)
第1部 ボヘミアン文学のパリ(ボヘミアン生活の神話と現実;アカデミー・ジュリアンと文学;日本におけるボヘミアン文学)
第2部 憧憬のゆくえ―近代日本人作家のパリ体験(乖離の様相―高村光太郎;生きられる都市―島崎藤村;徒花の都―金子光晴;貧困と街路の詩学・一九三〇年代パリ―ミラー・ブラッサイ・オーウェル・光晴)
“パリ写真”の世紀
江戸の記憶・都市の映像―リヴィエール/コバーン/福原信三
第1部 パリ神話の成立と文学/写真(“パリ写真”とは何か;十九世紀生理学の影―始まりとしてのアジェ)
第2部 写真集というトポス(都市のグラフィズム―ジェルメーヌ・クルル『メタル』;遊歩者の手法―『アンドレ・ケルテスの見たパリ』;思考の星座―ブラッサイ『落書き』 ほか)
第3部 パリ写真の展開(報道か、アートか―カルティエ=ブレッソン;街路と演出―モード写真;カメラなき都市写真 ほか)
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<パリ写真>の世紀 今橋映子著
都市の神話読み解く
千の眼、千の鏡のなかにパリは己の姿を映しだす。パリの闇にうごめく人々の生態を親密な眼差(まなざ)しですくいあげるブラッサイの『夜のパリ』、市庁舎の前でキスをかわす恋人たちのすばやい動きを情感豊かに定着したドアノーの写真、夕暮れ時の曇ったガラス窓の向こうに煙るようにかすんでゆくエッフェル塔をとらえたイジスの『夢のパリ』……20世紀はさまざまな〈パリ写真〉をつむぎだしてきた。
〈パリ写真〉とはなじみのない言葉だが、パリとパリ人、そしてその生活をテーマにした20世紀のストレート写真の総体である。19世紀の絵画的写真の枠組みを脱却し、鮮明で直接的な眼でダイナミックに移り変わってゆく大都市の多層的なトポスへ入り込んでいった、多くは外国人の写真家たちの仕事である。それらはある特別な都市の変遷を継続的に写し撮った記録という以上に、20世紀都市の表象となり、メディアや文学の動向と結びつきながら、世界がパリを感知し、理解するための土台となっていった。いわばイメージによるパリ神話をつくりあげていったわけだが、そのメランコリックな響きとは裏腹に、〈パリ写真〉の表現と思考は想像以上に複雑な文化的文脈に深く根ざしている。それらの根茎のような関係を膨大な資料から読み解き、パリ神話そのものを解体し、脱構築してゆこうというのが本書の試みである。
ロラン・バルトはかつてパリのすべての街角から1本の純粋な線として眺められるエッフェル塔が、実際には入り組み、交叉(こうさ)し、分岐した無数の線の集合でつくられていることへの驚きを述べた。〈パリ写真〉もまた多くの異邦人たちの視線のポリフォニーにより生みだされた類例のないイメージの結晶であり、集団的な想像力の痕跡であったことを、本書は精緻(せいち)な分析と強い情熱で実感させてくれる。
評者・伊藤俊治(東京芸術大学教授) / 読売新聞 2003.06.29(via:
紀伊國屋書店)
学術書という分類もあってほどなく絶版。どの著作も大胆な仮説と、気合の入った調査での裏づけと分析は何度読んでも面白い。日本人がいつからか勝手に幻想をもっている ”パリ写真””パリの芸術家”とは全く違う活き活きと泥臭い芸術家の話。